こんばんわ!
今日は仕事のお話。
普段僕は病院に勤務しています、僕の病院は急性期病院といって救急外来や集中治療室といった重症の患者さんが多くいます。
特に集中治療室では、24時間体制で看護が必要な方が多いです。
僕もそんな中で日々業務を行っています。
そんな毎日の中で先日実際にあった出来事について書きたいと思います。
命とは何か、幸せとは何かについて考えさせられた出来事でした(-"-)
「なんとしてでも生かせてください!お願いします。」患者家族からの言葉
患者は90歳男性、敗血症という病気でショックとなり全身状態も悪く非常に厳しい状態の方でした。
呼吸は人工呼吸器で管理。
血圧は薬で無理やり昇圧。
全身状態は24時間血液浄化療法で管理。
言い方は悪いですが、生きているというよりは生かされているという状況でした。。
我々医療者はどのような状況でも全力で患者さんのために医療行為を行うことが仕事です。
それでも今回のようなケースでは、無理に治療をすすめるよりも痛みを取り除き、安らかな死を迎えられるように管理するということも考えます。
[方針]とよばれるもので、その患者さんのその後の治療方針をどのようにしていくかを、ご本人・家族を交えて決めていきます。
今回の場合は90歳という超高齢であること、全身状態がかなり厳しく一時的な延命はできても救命することは難しいということなどをしっかりとご家族に説明しました。
これ以上いたづらに治療をして体を傷つけるのではなく、痛みを取りつつこのまま安らかな死を迎えられるようにするという方針がとられるだろうと、医者を含めた誰もが思っていました。
しかし、ご家族からの希望はどんなことをしてでも生き延びさせてくださいというものでした。。
延命を希望した本当の意味とは
当然こちらとしても現状を全て説明し、延命は一時のものになる可能性が高いです、と伝えましたがそれでもご家族の希望が変わることはありませんでした。
いくらこちらがおすすめできないことだとしても、ご家族の希望がそうであるならこちらが断ることはできません!
希望の通り、全ての方法を使って延命させることとなりました。
いわゆる「フル」という方針です。
愛する人の死を受け入れられない、一分一秒でも生きていてほしい、一緒にいたい、そう思うのは当然のことです。
しかし、今回のケースはどうも腑に落ちないところがありました。
ご家族からはそのような患者への気持ちがどうにも伝わってこなかったのです。
毎日お見舞いに来るわけでもなく、来ても少し様子をみて話を聞いて帰ってしまう。
本当にこの館患者さんのことを思っているのだろうか?
私たちスタッフにも疑問の声があがっていました・・
その後、ご家族からのお話で本当の意味が見えてきました。
ご家族がこの患者さんの延命をこんなにも希望した理由、それは
年金でした。
そう、このご家族患者さんの年金を生活の頼りにしていたのです。
つまりこの患者さんが無くなってしまうと年金がもらえなくなる。
そうすると自分たちが生活できなくなる。
そのための必死の延命希望だったのです。
お金のために生かせておく
はっきり言うとそういうことでした。
毎日必死な思いで24時間体制で治療を続けていた僕たちにはあまりにも衝撃的な理由でした。
もちろんその事実を知った後も治療は続きます。
こんなに切ない気持ちで患者さんに接したのは初めてのことでした・・
命の価値とは?幸せとは何か?
その後この患者さんは一週間ほど懸命に生き、息を引き取りました。
ご家族からの直接的な感謝の言葉はなく、とても寂しい最後でした。
亡くなった当日も僕はこの方の治療にあたっていました。
治療しながら全身を管につながれ、生かされているこの患者を見て僕は思いました。
この人は幸せだったのだろうか・・?
命って何だろう・・?
この方が亡くなり、空いたベッドには次の重症患者さんが入ってきました。
一人の患者さんのことに思いを馳せる余裕もなく、また忙しい毎日が始まりました。
今日こうしてブログに書こうと思ったのは自分自身のためでもあります
このようなケースがあったこと。
その時にこう思ったこと。
きっと忘れてはいけないことだと思ったからです。
みんなが思っている以上に、両親の年金を頼りに生活しているご家族というのは多いです。
病院で勤務していると特にそのようなケールが見られます、また治療は高額医療としてそのほとんどが国の負担となり患者家族が負担する額は一部です。
その大部分は税金によって補われているということも事実です。
家族とか生活とか、命とかお金とか・・
本当に難しいことが複雑に絡まって存在していることを痛感しました
いつか自分にも同じような状況が訪れるとも限らない!
思いにふけながら、また明日も忙しい毎日に没頭します。